「この子と一生、言葉を交わせないかもしれない。」
そう気づいた時期のしんどかった気持ちは今でも忘れられません。
息子のぼんちょは、重度知的障害があります。
私は8年間、一度も「ママ」「お母さん」と呼んでもらったことがありません。それでも私は今、息子とコミュニケーションをとっています。
この記事では、発語なしの知的障害児を育ててきた8年間を振り返りながら、過去に思っていたことや今の気持ちを正直に書いていきます。
同じ気持ちを抱えた誰かに「自分だけじゃない」と思ってもらえたら、それだけで十分です。
知的障害を疑い始めた、2歳の日々

「ぼんちょに知的障害があるのでは?」
と確信を持ち始めたのは、1歳半健診が終わって2歳になる頃のことです。
2歳上の兄と比べると、こちらが話しかけても理解している様子がありませんでした。
指差しもしない。
名前を呼んでも振り向かないことも多い。
「気のせいかな」と思いたい気持ちと、
「やっぱりおかしい」という感覚が、
毎日ぐるぐると頭の中を回っていました。
「この子、話せるようになるんだろうか・・・?」と心配になっていた矢先、知的障害の疑いという診断が出ました。
そこから先は、年齢を重ねるごとに「この子は一生発語がないかもしれない」という確信が深まっていく日々でした。
3歳になっても、
4歳になっても、
言葉は出てきませんでした。
「この子とは一生話ができないかもしれない」
「一生お母さんと呼んでもらえないかもしれない」
という気持ちが、じわじわと心の中に広がっていきました。

毎日「気のせいであってほしい」って思いながら過ごしてたな。あの頃の自分、本当によく頑張ってたと思う。
発語なしのまま年齢だけ重なっていった


2歳のとき、通っていた保育園から「次年度からは預かれない」と言われます。
仕事を辞め、引っ越しをする決断をしました。
引っ越し先で児童発達支援センターへの入園が決まったとき、「ぼんちょと同じような子がいるかもしれない」と少しだけ希望を感じていたのを覚えています。
ところが入園式に行ってみると、明らかにぼんちょの発達が一番遅れていました。
他の子たちを見て比べて、また静かに絶望しました。
それでも、
「療育を受けていれば」
「周りから刺激を受けていれば」
遅くてもいつか話せるようになるかもしれない。そんな小さな期待を、なかなか手放せずにいました。でも現実には、発語の気配はなく、年齢だけが重なっていくのです。

我が子の状態をなかなか受け止めきることができなかったけれど、ぼんちょのありのままの姿を理解するスタート時点に立ったのがこの頃かもしれません。
療育の先生の言葉に救われた瞬間
そんな中で、児童発達支援センターの先生からこんな言葉をもらいました。
「ぼんちょくんには、自分の要求を相手に伝えようとするエネルギーがありますよ。」
言葉が出ないことへの焦りや悲しみでいっぱいだった私には、この一言がとても大きく響きました。話せないことに目が向きがちだったけれど、息子はちゃんと「伝えたい」という気持ちを持っていると教えてもらえた気がしました。
この言葉の意味は、その後の日々の中で、じわじわと実感として分かるようになっていきます。

一番気にかかっていた部分で「この子には力がある」と、人から言ってもらえたことがとても嬉しかったのです。
発語なし8年、今の正直な気持ち

今は、発語がないことは仕方のないことだと受け止めています。
でも、本音を言えば、今でも「ぼんちょと話してみたかった」という気持ちはあります。
どんなことを考えているんだろう
言葉で教えてくれたらもっとわかってあげられるのに
と思うことは今もよくあります。
それでもぼんちょは、毎日ちゃんと私に求めてきます。
行きたい場所やほしい物があれば、手を引っ張る。
してほしいことがあれば、物を渡してきたり手をパチパチする。
好きなお菓子を自分で選んで買い物カゴに入れることもできる。
絵カードを渡せば何かもらえることも理解しています。
言葉以外の方法を、毎日の生活の中から本人なりに少しずつ獲得してきました。
療育の先生に教えてもらってだんだん分かってできるようになったこともあります。
言葉がなくても、コミュニケーションの手段は一つじゃないということを、息子が毎日教えてくれています。

話せないのに自己主張をすごくする子に育ち、今は「ちょっと待ってね!」「代わりにこれで手を打ってくれる?」みたいな交渉をこちらも試行錯誤して伝えていく段階になっています。
発語がないことと向きあい続けて
「この子と一生、言葉を交わせないかもしれない」
そう気づいた瞬間、ものすごくショックを受ける気持ち、私にはとてもよくわかります。
そしてそれは、無理に抑え込まなくていいと思っています。私自身、今でもつらいと感じることがあるのが本音です。
ただ、一つだけわかったことがあります。
発語がないことと、コミュニケーションが取れないことは、イコールではありません。
言葉以外の方法で、その子なりの伝え方が必ずあります。それを一緒に見つけていく過程は、決して無駄ではないし、むしろその子のことを深く知っていく時間になると、8年ぼんちょと過ごした今は感じています。
この試行錯誤の日々をしぶとくあきらめずに続けていきたいです。

言葉を話せたらいいのになって思う瞬間は完全には消えないけど、「これでもまぁいいかな?」って思える瞬間も増えた気がします。
ぼんちょの同級生には、発語がないまま卒園した子もいれば、おしゃべりできるようになった子もいました。それは親の関わり方のせいでも、子ども本人のやる気の問題でもない。ただ、生まれつきの表現スタイルが違っていただけだと、今の私は思っています。






